こんばんは、細野カレンです。
今夜は、いつもより少しだけ長いお話です。
けれどもし、バッグの中をよく探してしまう方や、道具の置き場所が気になっている方がいたら、
この先の数分間は、きっと無駄にはならないと思います。
数日ぶりに、いつもの夜のリズムが戻ってきた気がします。
灯りのともり方も、湯を沸かす手の動きも、静かに落ち着いてくるこの時間。
そんなとき、ふと、自分のために道具を整えたくなることがあります。
どこに何があるか、ひと目でわかる。
たったそれだけで、気持ちが落ち着くこともあるのです。
バッグを開けた瞬間、
どこに何があるか、ひと目でわかる。
この感覚は、想像以上に快適です。
輪針はここ、段数マーカーはこのポケット、使いかけの糸玉は下段に。
決めた場所に決めたものが収まっていて、目で見ただけで全体が把握できる。
それだけのことで、編み始める前の準備が、ほとんど必要なくなるのです。
「あれ、どこに入れたっけ」とバッグの中をかき回すことも、
一度出した道具を机の上に散らかすこともない。
バッグの中だけで、すべてが完結する。
たとえば、こんなふうに。
バッグを開いたとき、目に入るのは整った道具たちの並び。
必要なものが、必要な場所にちゃんとあるという風景。
それは、慌ただしさとは無縁の、ちいさな静けさです。
たとえば、カフェのテーブルでバッグの金具を静かに外し、
ふたを開けるときの、あの小さな緊張感。
周囲の視線を気にしているわけではないけれど、
自然と動きが丁寧になるのを、自分でも感じます。
上質なレザーに触れながら、
中から輪針を1本取り出す。
その手元には、どこか“支度”という言葉が似合う静けさが宿ります。
すぐに編み始めなくてもかまわないのです。
その前に、まずバッグを開いて、道具の並びを目で確かめる。
それだけで、自分の中に「これから編む」というスイッチが入る。
それは日常の中にひそむ、ちいさな“儀式”のようなものかもしれません。
誰かに見せるためではなく、
自分の手元に、自分の気持ちが自然に戻ってくるような、そんな所作。
そういう立ち居振る舞いを持てる道具には、
使う人の時間そのものを支える力があると、私は思っています。
このバッグを使っていると、
ふとした拍子に、「いいな」と思う瞬間があります。
誰に見せるでもなく、
ただ自分のために、心地よいものをひとつ持っているという感覚。
これまで何となく使い続けてきたものではなく、
ようやく、「ここに落ち着ける」と思えたものに出会えたとき、
それだけで日々の手の動きが、ほんの少しだけ変わる気がします。
決して大げさな話ではありません。
糸を出すとき、針を戻すとき。
そういう細かな場面で、「ああ、これが好きだな」と思える。
そういうものが手元にあると、気持ちもゆっくりとしてくるのです。
編み針を入れるケース。マーカーをしまう袋。
バッグ本体とは別に、あれこれと工夫を重ねてきた方は、きっと多いと思います。
「こうしたらもっと使いやすいかも」
「でも見た目が少し気になる」
「理想の形がなかなか見つからない」
そうして長いあいだ、探し続けてきた道具の居場所。
その答えが、いま手の中にある。
そう感じられることの、なんと心強いことでしょう。
これからは、バッグを開いて、必要なものを手に取る。
それだけで十分。
使うたびに、「もう迷わなくていい」と思えること。
それは、想像以上に大きな安心です。
ふたを閉じたときの佇まいも、どこか誇らしげで。
道具を持ち運ぶという実用性の中に、静かな品の良さが漂います。
3つに分かれた独立構造と、美しく滑らかなレザー。
編み物の時間をそっと支えてくれる、ひとつの静かな選択肢。
このバッグが、自分のための道具として、心に残ったなら。
どうかその記憶だけでも、そっと持ち帰ってください。
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