おはようございます、細野カレンです。
今日はこどもの日ですね。
子どもたちの健やかな成長を願うこの日。
どこか遠い記憶の中に、小さな自分を思い出すような朝でもあるのかもしれません。
たとえば、柏餅の甘さや、風に揺れる鯉のぼりの姿。
祝ってもらった側だった頃の、あの静かなうれしさを、ふと思い出される方もいらっしゃるでしょうか。
わたしの手元にも、そんな頃の写真があります。
すっかり色の褪せた白黒写真に、兜飾りを背景にして、
少しお澄まし顔で写っている幼い日のわたし。
着ているのは、母が編んでくれたセーターでした。
昭和40年代、セーターは「買うもの」ではなく、「編むもの」。
わたしが成長するたびに、母はそれをほどいて、また編み直してくれました。
毛糸を玉巻するのを手伝った記憶は、今でも鮮明に残っています。
いつか、誰かに何かを編むという行為は、
そんなふうに、目に見えない記憶の糸から始まるのかもしれません。
お子さんに。
お孫さんに。
姪や甥に。
ご近所の、あの小さな笑顔に。
顔が浮かぶ方がいらっしゃれば、
その子に似合いそうな色を、ひとつ選んでみたくなることもあるかもしれませんね。
そんなとき、そっと手に取っていただきたい毛糸があります。
ドイツの老舗メーカー「プロラナ」から届いた
“ベイビーメリノソフト”という名の毛糸です。
デリケートな肌にも安心な、100%エクストラファイン・メリノ。
ふわりとしたやさしさと、驚くほど軽やかな通気性。
赤ちゃんや小さなお子さんのための作品に、自然と手が伸びるような質感です。
色も手ざわりも控えめで上質。
だからこそ、編む人の感性が生きる毛糸です。
贈りものをする誰かの顔が、ふと浮かんだとき。
その笑顔を思い描きながら、手を動かす時間が、こんなにもあたたかいものだったと気づかされます。
丁寧に編みあげたその一着が、
「わあ、すてき」「これ、どこで買ったの?」なんて言われたときの、あのくすぐったいようなうれしさ。
作品を通して、自分の手しごとがちゃんと届いていると感じる瞬間。
そして、そんなふうに誰かを思いながら手を動かしている自分に、
ふと、「ああ、わたし、いま幸せかもしれない」と気づくことがあります。
編むという時間そのものが、
わたしにとってのよろこびであり、自分らしさの証なのだと――
そんなふうに思える日が、編み物をしていると、確かにあるのです。
たとえば、こんなニットを編んで贈る朝があったなら。
きっと、手ざわり以上に、気持ちが残る作品になるのではないでしょうか。
プロラナ ベイビーメリノソフトを見てみる