おはようございます。細野カレンです。
今朝もこうしてお便りを読んでいただけること、本当にうれしく思っています。
最近、なんとなく靴下を編まなくなってきた――そんなこと、ありませんか。
とくに理由があるわけじゃないのに、気がついたら毛糸に手が伸びない日が増えていて。
編みたくないわけじゃない。むしろ、ちょっとだけ、やってみたい気持ちはあるのに。
そんな方に、今日はひとつだけ思い当たっていただきたいことがあります。
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針を並べるだけで、ちょっと疲れてしまう
靴下を編むとき、いつも最初に手が止まってしまうのは、「さて、今日はどこから始めようか」というあの瞬間です。
5本針を手に取ると、それぞれの針先があちらこちらに向いていて、どこを持っていいのか迷ってしまう。
目を拾っていく間にも、使っていない針が手のひらに触れて、軽く跳ね返ってきたりして、気が散る。
それでも昔は、それが「靴下編み」というものだと思って、当たり前のように向き合ってきました。
けれど、ふと気づくと最近は、針を持っただけで、気持ちが少し後ろに下がっているのです。
「今日はやめておこうかな」そう思って、毛糸の袋を閉じる日が増えてきた。
編みたい気持ちはあるのに、あの5本を広げる、あの初めの一歩が、なんだかとても大げさな作業のように感じてしまう。
これは技術の問題ではなく、「針が多すぎる」という、静かな負担の積み重ね。
たとえば、もう少し気楽に編めたらと思っても、それを変える方法がわからないまま、また同じように5本を並べてしまう――そんな日々に、気づかぬうちに疲れてしまっているのかもしれません。
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マジックループ、なんかうまくいかなくて
靴下や小物を編むとき、最近はマジックループを使う方も増えてきました。
道具が少なくて済むし、便利なのは確か。でも、何年使っていても、なんとなくしっくりこない瞬間があるのです。
輪にしたケーブルを途中で引き出して、その位置を微調整して。
また片方の針に目を移して、ケーブルを引いて…そのたびに、ふわっと緩む編み地に、指先が戸惑う。
気づけば、毎段ごとに「整えること」に神経を使っていて、肝心の編む時間が、どこか落ち着かないまま過ぎていくのです。
きれいに揃った靴下を見ると、たしかに完成の喜びはあるのに、その手前で心のどこかに「やっぱり面倒くさいな」という気持ちがある。
でもそれを言葉にすることもなく、ずっと「これが一番簡単なんだから」と自分に言い聞かせながら、なんとなく続けてきてしまった。
それは、編み物に対する熱意がなくなったわけではなくて。
むしろ、もっと自然に、もっと気持ちよく編める方法があったら――そう思いながらも、「でも、ほかの方法って何があるの?」と、そのまま手が止まってしまっていたのかもしれません。
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前は平気だったのに、今はすぐ手が疲れちゃうのよね
最近、針を持っていると、親指のつけ根がじんわりと重たくなることがあります。
前は何時間編んでもへっちゃらだったのに、今は30分ほどで、なんとなく指の関節にこわばりを感じる。
それでも「年齢のせいかな」と思って、深く考えずにまた同じ針を手に取るけれど、やっぱりどこかで身体が無理をしているのを感じてしまうのです。
手が痛いわけじゃない。編めないわけでもない。
でも、もう少し“やさしい道具”があったらいいのに、と思う。
力を入れずに持てる針、指の角度を気にせずにすむ針。
そんなものがあれば、きっともっと自然に、もっと楽しく、また靴下を編みたくなるのに――そう思っている自分に、ふと気づく瞬間があります。
今ある針が悪いわけじゃない。
ただ、手は静かに変化していくものだから、使う道具も、少しずつそれに寄り添うものに変えていけたら。
そう願う気持ちは、決してぜいたくなんかではなくて、長く編み物とつき合ってきた人にとっては、むしろ自然な感覚なのだと思います。
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もし、ひとつでも「それ、私のことかも」と感じたなら。
それは、あなたがそろそろ、「今の自分に合った編み方」を選び直していい頃だという、心の静かなサインかもしれません。
そして、そう思ったあなたにこそ、見ていただきたいページがあります。
編みたいと思った気持ちを、明日へ持ち越さないでくださいね。
また次回、お便りいたします。